こんにちは。最近この肩書もあまり名乗りませんが、ピアノ弾きたがりシンガーソングライターのヨシミチアキです。
私にとっては平成の締めくくりとなるライブでありましたが、特にそんな気負いはせずいつもどおり。
みんなと仲良くなれたとても楽しい一夜になりました。
目次
詳細
タイトル:よりそう事と、つながる事と
日付:2019/04/15
場所:Second Rooms(京都)
出演(敬称略): ダイスケ 下森紀尚 山本一考(O.A.)
曲目
- きぶんじゃないのに
- サクラヒトヒラ
- すきなヒトくらい
- 祈りの炎
- いいから
所感
当初予定されていた出演者がキャンセルになったため、たまたま来ていたスタッフの山本さんの歌が聴けることになりました。
一曲目から早々と弦が切れるハプニングもありましたが、『どうせ明日死ぬつもりなら』がめちゃくちゃ良かった。
どうせ明日死ぬつもりなら、周りの人を大事にしろとか、自分と向き合えとか、まっとうなことを歌ってるだけなんだけど、「それじゃそろそろまた明日」って結ぶのが秀逸。
これが「だから明日も頑張って生きろ」だったらすごく説教くさいじゃん。イヤじゃん。寄り添ってくれてる感じしねえもん。
よしわかった話はそれだけか、ほなあの世行くわな!💢 ってなるぞ。
もちろん、全体的な意味としては「頑張って生きろ」なんだよ。
それよりも前に「俺はお前に明日も生きていて欲しい(なぜならお前のことが好きだから)」というメッセージがあるんだけど、これもはっきり言葉にすると嘘くさいから、「死んだところで地獄行きだぞ」と皮肉を挟む。
私はこの歌のそういう部分に、突き放してるようで、不器用な優しさを感じるのです。めっちゃええ。ちゃんとしたライブ見たい。
下森紀尚さん、見た目は十年くらい音楽やってますっていう貫禄を漂わせていましたが、実際お話したら20歳のシャイな青年でした。
ダンボールうさぎというオリジナルキャラを激推ししていて、ライブ中も「自分のことはいいのでダンボールうさぎを広めたい」と熱弁。
そして私はダンボールうさぎを横目に、仲間のトオン先生を連れて帰ってきました。今は私のキーボードに立っていらっしゃいます。かわいい。
歌っているときの優しい表情が印象的でした。帽子かぶってるのもったいなかったかも。
この日のライブではやってなかったけどCDに入ってた『友の唄』の歌詞に共感しまくって通勤中に涙目でした。
人生はひとりぼっち ああ孤独さ
部屋の片隅で泣いてるんだ
(書き起こし:筆者)
あーもーわかりすぎて胸が痛い。 私なんて三十二歳になってもこの唄のまんまや。どうしたらええねん。
ちなみに上の写真、左が山本さんで、右が下森さん。 下森さんはほんとは眼鏡してなかったんだけど、二人ともキャラかぶりハンパねえ! よっしゃもっと寄せてこ! とブッキング担当の川上さんが自分の眼鏡を掛けさせた結果こうなりました。
ウクレレ弾き語りのダイスケさん、南国生まれの楽器からこんな生真面目な音が出るんか! と驚きでした。
いかにもウクレレというプレイスタイルではないのは、やってみようと思って手にとったのがたまたまウクレレで、ほぼ独習だったからだそう。
年間50本のライブ目標を掲げて活動しているそうで、活動が月イチ以下の不良ミュージシャンは見習わなあかんなあと思います。
ブログやTwitterも純粋すぎて正視に耐えませんでした。溶ける。
ひるがえって、世の中アホばっかじゃくだらねえな! とか吐き散らかしている自分ほんま自重せえよ……。
さて、自分のことですが、今回はいままでで1番いいライブができてたかなと思います。
動画チェックしてて自分で泣いた。自分大好きなので。
新曲もステージに乗せなれないといかんのでやろうと思ったんだけど、山本さん下森さんからの流れを汲むなら最後は『いいから』だなと思ってすり替えました。
ダイスケさんに最後「全員『生きる』で終わってよかったですね」といわれたので、チョイスは正しかったようで……
これはthe pillowsへのオマージュみたいな感じで作ったんですけども。
ほら、最後アウイエーアウイエーっていってるだろ?
……すんません、真面目にやります。
上の方でも書いたけど、私は落ち込んでるときや自分を責めてるときの「頑張れ」って励まされ方が嫌いでしてね。
私のことを考えているのではなくて、あちらさんの「辛気臭いものを見てるのが嫌」っていうエゴを感じるから。
当人は善意のつもりだし、こっちの捉え方がひねくれてるって怒られるのはわかってるがな。
the pillowsを聴いた時に、同じように感じる人はちゃんといるんだと思って、自分が許された気がしたんだ。 自分にもそんな歌が唄えるといいなと。
実体験からいうと、立ち直るきっかけば、まず自分が現状にどれほど傷ついて嫌気がさしているかに気づくことなんですよ。
どんなに些細なことであっても傷ついていいし、たとえ、他人がそれを甘えや弱さだと批判したとして、「自分はこれでいい」と思えたところから、再び始まるんです。
自分を好きになるのも、周りの人に感謝するのも、ぜーんぶ、その後でいい。その後でしかできない。
「わかってもらわなくていい、自分はこれで行く」そう覚悟を決めたら、「キミっていいね」っていってもらえるんだよ。
世界っていうのは、そういう風にできてるもんだ。
さてさて、ここまで読んでいただきまして恐悦至極に存じ上げます。 願わくば、別の記事で相見えますことを。